常識を疑ってみる【学校教育編①】

私は昔から人と違う考えをすることがよくあります。

今日はその1つを書きたいと思います。

注:あくまでも私個人の考え方ですので、万人向けではありません。

そして自分の考えが正しいと言うつもりもありません。

 

学生の頃から感じていましたが、

最近より強く思うようになりました。

 

学校教育って本当に必要なのだろうか。

 

「学校に行かなきゃ何も覚えられないし、

将来困るじゃない。就職だって...」

みたいな声や意見があることは百も承知です。

 

え?じゃあなに?就職するために学校行くの?

 

生きていくための知識や情報は、

ハッキリ言って学校に行かなくても自然に身につきます。

今の時代はスマホがあり、わからないことはすぐ調べられます。

もちろん、学校教育だからこそ身につく知識もあるかとは思います。

一部の人にはとても有効なものであることも否定しません。

でもそれって万人に必要ですか?

特に私のような集団行動が苦手な発達障害の子にとって、

学校での生活は苦痛以外なにものでもありませんでした。

 

私は中学3年間ほぼ不登校で家にひきこもっていました。

また学校の勉強は小学校高学年頃から全くやらず、

今でも算数、数学について言えば

足し算、引き算、かけ算、割り算以外できません。

ルートやら微分積分やら、何も知りませんしできません。

どうしても必要になった時は、わかる人にお願いすればいい。

そう思い、大人になってからも不便なく暮らしています。

学歴が必要なときは、資格取得や就職の時くらい。

それすら、企業に就職するという選択肢をなくしてしまえば、

ハッキリ言って必要ないと思うのです。

 

勉強が好きな子、苦手な子。

集団行動が好きな子、苦手な子。

何に興味を持ち、何が好きか。

これは個性です。人それぞれ違って当然です。何だっていい。

でも学校教育では皆同じを求められ、良い成績良い子を求められる。

良い子って結局は大人にとって都合がいいって意味としか思えません。

 

サドベリー・スクールの存在を知ったのは10年ほど前ですが、

こんな学校は面白く、選択肢の1つにしてもいいと私は思えます。

 

私は20歳頃にインドネシア華僑の友人が数人できました。

彼女達は英語と中国語が堪能で、

彼女達とコミュニケーションを取るためには語学習得が必須でした。

 

私が本気で英語を学ぼうと思ったのは、これが大きな理由でした。

学校で勉強してない私は、基礎知識さえ何もない状態でしたが、

そこからほぼ独学で必死に学び、彼女達との会話で実践し、

間違えながら、でも日常会話程度の英語ができるようになりました。

 

その後、もっと深く彼女達と会話を楽しみたいと思った私は、

彼女達にとって母国語とも言えるインドネシア語と中国語を

学ぶ必要があると思ったのです。

(英語は彼女達にとっても外国語で深い内容は話せないと思った)

でも、インドネシア語は世界的に見て主要な言語とは言えず、

たとえ取得しても、インドネシア人としか会話できない。

ならば中国語だろうと思い、29歳で中国語圏に留学しました。

 

最初は1年程度の語学留学のつもりでした。

費用もあまりかけたくなく、

日本円で毎月3万円以内で生活の全てをまかないながら、

(家賃、食費、生活費全て込みで3万円です。某国でも極貧生活です。)

とにかく必死で寝る暇も惜しんで中国語の勉強をしました。

そうしてるうちに、中国語を話す文化を持つ人々に更に興味が沸き、

世界に散らばる華僑や、中国文化のことをもっと勉強したくなり、

中国語圏の某国でそれを学べる学科がある大学を見つけ、

31歳で外国人受験枠で大学受験し、2度目の受験で合格しました。

節約のため、学費無料になる返済不要の奨学金を得るために、

アホみたいに勉強していたおかげで、気付けば中国語もペラペラ。

目的だったインドネシア人の友人達とも普通に何でも話せるようになり、

35歳で某国の大学を卒業し日本に帰国しました。

 

だいぶ話はそれましたが、何が言いたかったというと、

人は興味を持った物を興味を持った時に学べばいいと思うのです。

何歳でもいい。それが一番効率よく、何より楽しい。

楽しいというのは、努力している自覚なく、上達するのです。

 

私の目的は友人とのコミュニケーションでしたが、

結果的に中国語が通訳レベルになり、それで収入も得ることができました。

35歳からです。それまでは17年間ふらふら転職してただけです。

収入を得るために勉強していたわけではありませんでしたが、

少しでもお金を使わず留学生活をしたかったという為に、

必死で勉強したことが、その後いろいろ役立つことになりました。

 

でも、だからといって、中国語を武器に生きていくつもりもなく、

やはり私にとって中国語は友人とのコミュニケーション手段なのです。

 

「せっかくこんなに話せるのだから、先生になったら?」

と言われることも多々ありますが、興味がないのです。

興味がないことでお金を稼いでも、楽しくない。

就職やお金のために留学していたら、

私はあそこまで頑張ることもなく、奨学金を得ることもできなかったはずです。

 

大人になってから大学に行く方が楽しくてより学べる。

これが私の率直な感想です。

私はたまたま興味を持った内容が大学で学べると知り、

大学に行こうと思いましたが、

大学に行くことを勧めてるわけでも何でもありません。

あくまでも一例として、こんな方法もあるとお伝えしたかっただけです。

 

不登校には様々な理由があると思います。

発達障害が起因だったり、いじめが原因だったり。

だったら、無理して行かなくていい。本気でそう思います。

 

多くの大人は、自分が経験してないことを怖がります。

一般的に皆が辿っている道を選んだ方が安心だから。

でも、一人一人個性があり、他と違うことは何も悪くないしおかしくない。

自分のタイミングでいいし、自分らしくていいんです。

何だってありです。生きてればそれだけで十分じゃないですか。

私は本気でそう思います。

 

それではまた。