年始の憂鬱さがない寝正月

会社員時代は、1/4が仕事始めでした。

本来なら、明日1日を残し、正月休みが終わるわけです。

そろそろ憂鬱な気分になり始める頃です。

 

限られた正月休みというものがないと、

「正月だから○○しよう!」と不思議と思いません。

晦日感や、正月感は正直今までのようにはなく、

腰痛がまだ残っており、本当に寝正月を過ごしています。

 

パートナーは息子を連れ実家に帰った為、私も実家へ。

実家でいつも見ない(家にない)テレビをひたすら見て

こたつでゴロゴロするという、絵に描いたような寝正月です。

昨夜は芸能人の格付け番組で大笑いさせてもらいました。

こんな贅沢な時間の使い方があるんだなぁ~と

うまく言えませんが心が喜び自然に何かに対して感謝の気持ちが溢れます。

 

同じ腰痛で寝て過ごすとしても、

周りも休んでいる時だと心の余裕を感じられるのに、

周りが忙しく働いている時期だと罪悪感を感じる。

これってどんな違いなんでしょうか。

私自身、なぜこんなに感じ方が違うのか不思議でなりません。

やはり人は常に誰かと比較してしまう生き物なのでしょうか。

「自分だけ寝ていて申し訳ない」

どうしても今までは、そう思ってしまう自分がいました。

 

が。

これからはそんな自分ともお別れしたいと本気で思います。

ネガティブな意識にフォーカスするのではなく、

私が仕事もせず自由に動けるから周りは幸せでいられるんだと、

身近な存在の人たちに貢献している自分を認めていきたい。

 

一生懸命働き、お金を稼いでくる人が偉いんじゃない。

一生懸命何かに向かって努力し、目標を達成する人が偉いんじゃない。

ただ今生きているだけで、例え何もしていなくても、

誰かはきっと私の存在そのものに喜んでいてくれる。

私がいなければ、悲しむ人が必ずいる。

本気でそう思える自分になっていきたいです。

 

自閉スペクトラム症であろうが、

40歳にして「ただの無職」であろうが、

何かに向かって努力してるわけでもないし、

好きなことばかりして、嫌なことから逃げていようが、

それでも私は世界にたった一人しかいない存在なわけです。

 

例え誰も必要としてくれなくても、

私だけは私を愛したい。

命があるということは、必ず何か意味があると思うわけです。

まだ見ぬ喜びや愛に溢れる世界が待っている。

 

こんなポジティブな視点で毎日を過ごすことができれば、

きっと本当にそんな世界が見られる日が訪れると思うのです。

(決して今が不幸だと言っているのではないですが)

 

心が嫌と感じることはしない。憂鬱になることはしない。

徹底的にそんな生活ができるならば、

きっと、いや必ず、今までと世界は変わってくるはずです。

まだそんな生活を始めて数ヶ月しか経っていませんが、

何年後かに、今の選択をしてよかったと思えるはずです。

 

寝正月で楽しいテレビを見てゆっくり過ごしたことで、

今は少しだけ心に余裕を感じることができています。

この感覚を忘れず、また日々を過ごしていきたいと思います。

 

それではまた。