アーリーリタイアして私は何も生み出せない無能な人間だと気付く

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会社を辞め、私は多くの自由時間を得ました。

 

最初の1~2ヶ月は、

仕事に行かなくてもよくなった自由な身分に感動し、

心は興奮気味だったと思います。

 

そんな生活もしばらく続くと、

いつもは脳天気にただ「幸せだな~」と感じている私も、

時として「自由時間」を持て余し、

何もしない、できていない自分のような感覚になり、

どうしようもない不安が襲ってくることがありました。

 

多少、自由時間の過ごし方が上手になった今も、

やはり時々、不安に襲われることがあります。

他者のために何の役にもたっていない気がしたり、

ただ惰性で生きている感覚になることが時々あるからです。

 

私にとって会社員時代の仕事は、

とてもストレスが多く、生活のために仕方なくやるもの。

そんな位置づけだったにも関わらず、

実はその「嫌なこと」「重要でないこと」の仕事から、

アイデンティティや自尊心が保たれていたことに

ふと気付かされてしまいました。

 

誰かに自分の時間の使い方を指示され、

行動をコントロールされることがあれほど嫌だと思っていたのに、

実はそれに「安心」を得ていたという状態です。

忙しくタスクをこなし、仕事上の問題を解決することは、

自分の存在が役立っていると感じる事ができたからです。

 

自由時間を得たときに、

私は自分自身で何かを創造する能力に欠け、

自分の人生を生きる能動的な姿勢が足りないことに、

嫌でも気付かされることになりました。

 

「やること」を自分で見つけたり生み出すことは、

学校教育でも家庭内でも教えてもらったことがありません。

 

他者から与えられたもので自分を満たすのではなく、

自分の中から生まれるもので自分を満たす。

 

これがどれだけ難しいことか。

 

私にとってリタイア生活は

自分の人生に何が重要であるかを追い求め、

時に哲学的に時に能動的に生きる訓練に近いと感じる事があります。

 

ただ、私は気付けて良かった。

会社員としての「重要でない」時間で人生が終わるより、

より能動的に、自分にとって重要なことの為に、

時間を使えるということに。

 

時として、ものすごい不安や虚しさが襲ってきますが、

他者に指示され他者の利益のために忙しく毎日を過ごし、

自分の人生が充実していると錯覚することは嫌です。

 

膨大な自由時間は、

悩みもがきながらも、

私の人生の大切なことを気付くために使います。

 

それではまた。

 

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