リタイアの不安の1つは「やることがないこと」だった

そろそろ休職し1ヶ月が経過しようとしています。

 

会社員として健康でバリバリ働けていたとき、

予定のない土日は無駄に生きている感覚があり、

「私は貴重な時間を無駄に過ごしてしまった」

という罪悪感をよく感じておりました。

 

そんな理由から、リタイア生活に強い憧れがありつつ、

土日ですら暇なときは暇なのに、

毎日が土日になったら私はどうしてらいいんだ?

いったい何をして過ごせばいいんだ?

そんな強い不安を持っていたのです。

自分がただの怠惰のダメ人間に思えるような気がしていました。

 

ところが、想定外に会社を休職することになり、

この約1ヶ月、ただの1日も「暇だ」と思うことがないのです。

これには相当な驚きと、新たな発見です。

 

もちろん体調が著しく悪い時は、ゴロゴロ寝て過ごすこともありますが、

基本的にストレスがない静かな環境で静養することが大切ですので、

読書をしたり、こうしてブログを書いたり、ドライブしたり、

温泉に行ったり、海をぼーっと眺めたり、料理をしたり、

今はパートナーと子どもと離れ、実家で静養中なのですが、

母と一緒に断捨離をしたり、庭の掃除をしたり、

そんなこんなで、あっという間に1日が過ぎてしまうのです。

 

曜日の感覚もだんだんなくなり、

お腹がすいたら食事する。

夕方明るいうちにお風呂に入り、

10時頃には就寝する。

 

なんて楽しく、ストレスがない日々だろう。

こんな生活していたら、会社員には戻れないじゃないか!

そんな心境です。

 

もしかしたら私たちは真面目に8時間働くことを常識と思わされ、

そのご褒美として休日や長期休暇を与えてもらえるだけで、

その休日すら何か自己成長や家族や社会の為に貢献して生きるべきと、

意味のわからない洗脳?みたいなの、されてるのかもしれません。

 

遊んで何が悪いのさ?

楽しいことだけして、何が悪いのさ?

最近、そう思えてきました。

 

ん~これはもう退職しちゃうか?

そんな考えも浮かぶのですが、

退職してしまったら、もう2度と前の給料は手に入らない。

そう思うと、決断できないのもまた情けないですが事実。

体調が悪く働けないのは事実ですので、

もう少しじっくり考えて決断はしたいと思います。

 

少し話は変わりますが、

2018年くらいにアフロヘアでおなじみの稲垣えみ子さんの

「魂の退職」を読んだことがあります。

ご存じの方も多いと思いますが、

私にとって大変衝撃的で爆笑させてもらった貴重な一冊です。

その中に稲垣さんが面白い例えを書いていました。

現代人はたくさんのチューブにつながれて生きる重病人のようなものだと。

便利な生活、電化製品もしかり、究極会社の給料もそうだと。

そのチューブを怖いけど抜いていけば、

意外と抜いてもどうってことなく、逆にベッドから起きて自由になれたと。

 

私はこの考えが、非常に面白く、また衝撃的な発想だと思いました。

今、まさに私は絶対に抜けないと思っていた、

抜くことが恐怖でしかたなかったチューブを、

少しずつ抜く訓練中とでもいいましょうか。

そして、稲垣さんの言われていたことが、今やっと理解できるようになってきました。

 

断捨離を進めることで、実は生活するにはそんなに物は必要ないことや、

質素な食事の方が身体が喜び、料理も楽しみになることとか。

 

会社から給料をいただいている以上、

どうしても上司の言うことには従わねばならず、

管理職時代なんかは夜間休日問わず、いつも連絡が来ていました。

会社員に「自由」なんてなかったのです。

でも給料という太い栄養チューブが私には必要だと思い込み、

必死でしがみつくことしか考えられなかった。

 

いっそのこと、チューブを自分で抜いてしまえば、

それ以外に方法はなんとか見つかるんじゃないかって、

何故か根拠はありませんが、思えてくるようになりました。

やっぱりチャレンジですよね。やってみないとわからない。

答えも結果もまだ何もわかりません。

 

「やっぱりこのチューブが必要だ」

って会社に泣きついて戻ることだってゼロじゃないかもしれない。

まぁ、それならそれです。

とりあえず、いろいろ挑戦しながら考えてみましょうかね。

 

それではまた。