嫌いだったはずなのに再会で涙が溢れたのはなぜだろう

今から10年ほど前、

私はとても尊敬していた人生の師とも言える人と、

とても大きな事件をキッカケに縁を切る形となりました。

その当時は連絡を取ることもせず、

何年か経ち、その方から2度ほど謝罪のメールをいただいていましたが、

「こちらはお話する気にはなれません」とお伝えしていました。

 

今日、偶然というか必然と、その方と再会し、

「お久しぶりです」と頭を下げたら、突然大粒の涙が溢れ出てきました。

尊敬し信頼していたメンターと言える存在に、

ある意味裏切られた形で10年前絶縁状態になっていたのですが、

きっと私の心の中では、許せないことが苦しかったのだと思います。

 

「今日は会えて本当に嬉しい。

もう2度と、会えないかと、ずっと気にしていました。心配でした。

もう過去のことは水に流してこれからまたゼロからです」

その言葉を師匠から言われ、素直に受け止めることができました。

 

この師匠がいなければ、私は厳しい留学生活を続けることも、

通訳の仕事を沢山もらったりすることも、きっとなかった。

師匠のおかげで実力以上の仕事をいただけ、飛躍のチャンスをもらえたのです。

感謝が大きかったからこそ、事件後ショックで苦しかった。

 

でも、今日自分の本心を、私自身が知ることになりました。

本当はずっとこのまま会わず「許せない」と思い続けることが嫌だった。

逃げてばかりの自分を好きになれなかったのだと思います。

私の人生をある意味良い方向に導いてくれた恩人でもあります。

いろいろあったけど、もうその事柄にずっと心を囚われ続け、

苦しんだり嫌な気持ちになるのはもうやめよう。

というか、もうならないだろう。そう思えました。

 

紆余曲折10年。苦しみの10年でもありました。

ここから何かがまた少しずつ変化していく。そう感じます。

 

死ぬ時に後悔する事リストがあるとしたら、

「恨み続けている人がいる」

と言う項目が私は必ず入ります。

恨み続けるくらいなら、自分から和解するか、もう忘れてしまう。

このどちらかです。

 

相手からの和解を拒否し続けて今日まできましたが、

私を見た瞬間の嬉しそうな瞳の奥、私は素直な純なエネルギーを感じました。

本気で私を気にかけ心配し、また師匠自身が己の言動を反省しつづけた10年。

私の時計は10年前に止まったままでしたが、今日また動き始めました。

 

1つの歯車が動き出した。

これは良い兆候です。

きっともっと楽しい人生がこれから待ってる。

私らしい、私が生きたい人生。

 

許せて良かった。心が融けてよかった。私自身の為にそう思います。

今日という日に感謝。ありがとう。

 

それではまた。